夏目漱石の愛した○○○ジャムとは何?

夏目漱石の愛した○○○ジャムとは何?

こんにちは、ローズメイの高橋です。

知っているとちょっと得するジャムについての豆知識のお時間です。

今回はジャムの歴史について…。明治の文豪・夏目漱石(なつめそうせき)は実はジャムが大好きだったというのをご存知でしたでしょうか?

代表作「我輩は猫である」の中で、ジャムが好きな人物「珍野苦沙弥先生」を登場させています。

この小説は中学校の英語の先生・珍野苦沙弥先生の家に飼われている猫の視点から人間模様が描かれた作品で、作中に珍野苦沙弥先生が「おれはジャムを毎日舐めるが…」という言うくだりがあります。実はこの珍野苦沙弥先生は夏目漱石自身をモチーフにしたといわれており、漱石自身もジャムが大好きだったそうです。

<ジャムを登場させた経緯や時代背景について>
夏目漱石は、慶応3年(1867年)に、江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区)で生まれました。本名は夏目金之助(なつめきんのすけ)といいます。

大学時代に俳句や短歌で有名な俳人・正岡子規に出会い、俳句を学ぶようになりました。
帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科を卒業した後に、中学校の教師などを経てイギリス・ロンドンに留学しました。帰国後は東京帝国大学講師をしながら、小説を発表しました。
38歳のときに作家デビューをし、49歳でなくなるまで数多くの名作を世にだしました。

今回取り上げた「我輩は猫である」は漱石の処女作であり、1905年(明治38年)1月、雑誌『ホトトギス』に発表されました。
そして、作中にジャムのことが登場するのですが…、
実はこのロンドンに留学中にトーストなどを食べていたそうなのでそこでジャムに出会ったのではないかと思われます。

<漱石が愛したジャムとは?>
夏目漱石は大の甘党として有名でしたが、そんな漱石が愛したジャムは何だと思いますか?

答えは「苺ジャム」です。

日本でジャムが初めて作られるようになったのが明治10年頃で、最初に作られたのが「苺ジャム」です。苺は江戸時代から輸入され始めましたが、いまの苺とは違い品種も少なく酸っぱい苺だった可能性があります。なので苺を砂糖で甘く煮詰めた苺ジャムで味わったのではないのでしょうか。そして、明治末期から大正初期にかけて苺ジャム作りが浸透するようになったそうです。

なので、漱石が食べていたのは明治30年頃とすると、一般的にはジャムはまだまだ普及しておらず、輸入品の苺ジャムなのではとも考えられているようです。
当時のジャムは缶に入っていて、希少な食品で高級品であったのですが、漱石はジャムが大好きでひと月に8缶も食べていたそうです。

また、ロンドンに入学していた経験から、朝食にはトーストしたパンを食べていたようなのですが、ジャムはパンに塗らずにスプーンでそのまま舐めて味わっていたそうです。

現代のジャムよりも、当時はかなり甘いジャムだったそうなので、ようかんやケーキ、アイスクリームなども大好きで甘党だった漱石の好物となったようです。

このように小説の中から当時の食べ物やジャムの歴史を感じることができます。
苺ジャムを食べるとき、夏目漱石の食べていた苺ジャムはどんな味だったのかななんてちょっと想像しながら食べたくなりますね♪ 漱石スタイルでスプーンでペロっと舐めってみたくなります(笑)。

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