日本のバラの歴史
バラは現在地球上におよそ3万品種ほどが存在しているといわれておりますが、そのうち野生種は約150~200種。ほとんどが北半球で誕生しています。
日本にも野生のバラは16種類ほど存在していますが、観賞を目的とするために栽培されていたバラの記録は、中国から伝えられたコウシンバラが始まりと言われています。
バラに関連したことが書かれているもので日本最古の文献は、奈良時代、721年頃作られた上陸風土記に、『うばら』と記され、日本最古の和歌集である万葉集には、『うまら』と記されております。万葉集の歌の中に、
みちのへの うまらのうれに はほまめの からまるきみを はかれかいかむ はせつかべのとり
(道端のいばらに巻き付く豆のように、追いすがる君を置いていくのだろうか)
と「うまら」の記述があり、妻との別れの心情を詠んだ悲しい歌です。
この「うまら」はトゲのある、つる状植物を指しており、現在私たちが想像するバラとは違っていたそうです。バラはもともとトゲに着目した名前や言葉でつる草を指していたとされています。現代ではうまらを「野茨」と表しており、このように漢字にしてみるとトゲのある植物を指していることにも納得がいきますよね。
中国のバラは音読みで「さうび」と呼んでおり、平安時代に作られた古今和歌集には『さうび』と記されていることから、この頃には中国のバラが日本に存在していたことが推測されています。また、平安時代には、清少納言により随筆された枕草子や、女性が書いた世界最古の長編物語としても有名な紫式部の、源氏物語には「そうび」と記されています。
さらに中国ではコウシンバラを、月を追いかけて年中咲き続ける花という意味の月季花(げっきか)や長春花(ちょうしゅんか)と呼ばれており、藤原定家の日記である明月記には「長春花」と残されており、コウシンバラ(月季花)のことが記されています。
日本の文献にも残されているとおり、中国からの影響がこの時代に大きく出ていることが分かりますね。
時は進み、鎌倉時代。絵画にもバラが描かれていたことが残されております。
藤原氏の氏神である春日大社の由来と霊体験を描いた絵巻物『春日権限験記』に月季花が描かれていたそうです。
江戸時代になると数々の園芸書が出版され、約2000種の植物を解説した、日本初の植物図鑑「本草図譜」では、当時の日本に存在したバラなどを見ることができます。
明治5年の1872年には政府が1000本のバラ苗を輸入したという記録があり、1877年の「各国薔薇花鏡」には中国で古くから信仰されていた名をもつ、ティー・ローズの西王母(サフラノ)等の名が見られます。これが日本人と西洋のオールドローズの最初の出会いと言われています。
日本のバラとの関係はまだまだ、奥が深そうですね。
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